華やかに見える表舞台にも裏舞台があります。
そこで起きた様々な事件、失敗、感動ストーリーをお伝えします!


※くらしの情報便最終回
 
  
今日のオンエアーで『くらしの情報便』7年半の歴史が幕を閉じました。
放送回数にすると337回。皆さんから送られてくるおハガキは、恐らく毎週平均500枚位あったと思いますので、その計算からいくと年間およそ25000枚。7年半では約18万枚。多くの方から励ましのメッセージを頂戴しました。
日記にもちょっとだけ書きましたが、私は去年の暮れ辺りから車を買おうと思っていたんです。今乗っている車は小さくて、すでに年季もはいっています。「もっと格好の良い、オシャレな車が欲しい!」「仕事も軌道に乗り始めたし、小さくてスタイリッシュな外車でも買おうかしら?」なんて思っていたりもしました。
でも、番組が3月で終ると告げられた日の夜、布団の中で目をつぶった瞬間に思い出した事があったのです。
普通のOLから「フリーアナウンサー」になりたいと決めた時、父が大反対。なのに私はそれを押し切って退職してしまいました。それから1年くらい父はほとんど私と口をきいてくれませんでした。そんな時、初めてのレギュラー番組として『くらしの情報便』に選ばれ、すぐに父へ報告すると、その数日後に“お祝いだ”と言って私に小さな車をプレゼントしてくれたのです。それが今乗っている車です。
小さいとは言え車を買ってくれるなんて、父はきっと私以上にレギュラー決定を喜んでくれていたのでしょう。その車を私は「もっと格好良いのがいい」なんて言っていたのです。反省しました。「そんな事を考えていたから番組に終わりが来たのかな」なんてね。
改めて考えました。厳しい世界と言われているフリーアナの世界で、私が今もこうして無事に仕事を続けていられるのは、そうやって見守ってくれている両親と、その仲を取り持ってくれたこの番組。そして応援し続けて下さった皆さんのお陰です。
くらしの情報便は私の原点となる番組でした。この経験を生かしてこれからもがんばりますので、どうぞよろしくお願い致します。


※ くらしの情報便
   
  
長年、出演をし続けてきた『くらしの情報便』が、この3月をもって終了となる事が決定致しました。平成6年10月にスタートし、早7年6ヶ月。驚くくらいのスピードで過ぎ去った月日だったように感じますがそれはきっと、始まった当初から今日まで、出演している私たちの気持ちが何の変化もなく、ずーっと同じ想いで番組を作っていたからだと思います。
色々な思い出はありますが、それが一体、2年前の出来事なのか5年前の出来事なのかわからなくなる程常に楽しく笑いが絶えない現場でした。
何週間も『ウクレレ』の練習をし、毎週私の上達振りを伝えると言う企画がありました。あれはテレビに映っていない日も、毎日訓練をすると言う大変なものでした。
イルカの調教に行き、イルカ君達と仲良くなれた事。
獣道を通って山を登り、辿り着いた天然温泉に入るはずが、既にお湯が枯れ始めていて水溜りのようになっていたのに、「ここまで来たのだから」と無理やり入浴シーンを撮り、後日番組を見た視聴者の人から「風邪を引きませんでしたか?」とたくさんのはがきを貰った事。そうそう、K−1の女子日本チャンピオンと対決をして、あっという間にやっつけられた事もありました。
他にもフラメンコ・ラクロス・カート・トールペインティング・バリダンス等など、数えたらきりが無いほどのチャレンジと経験をさせて貰いました。
どんな番組でもいつか終わりは来ます。むしろ7年半、同じ番組に出続けられると言うのは長すぎる位かもしれません。でも、正直言って寂しいですね。4月からは時間帯・番組名・出演者、全てリニューアルとなります。
本来は番組内で「今日で終ります。」とお伝えするだけなのでしょうが、ここのHPにはいつも見て下さっている方がたくさん遊びに来てくださるので、こっそり事前にお知らせしたいと思いました。
来週が最終回です。今まで応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。


※ 還暦祝いパート2
  


前回、予告をしましたパーティー後の様子です。
ご覧下さい!豪華メンバーの顔ぶれ。近藤会長は相撲現役時代のKONISHIKIさんの後援会長をなさっていたそうで、現在に至っても親交が深く、今回のパーティーはもちろん、2次会にも参加されていらっしゃいました。そのパーティーでは私がインタビューさせて頂いたんですよ。そのお隣は、元関脇・水戸泉関の錦戸親方(高砂部屋)です。色々とお話をさせて頂いたのですが、良い方でしたぁ。

そして、ファイティングポーズ(!?)をしているのは、ボクシングの世界チャンピオン井岡さんです。この写真、よ〜く見るとちょっと不自然ですよね?実は私達の間に、もう一人いらっしゃるのですが、飲み会終了後に写した為、かなりの赤ら顔。ご本人の名誉の為に、私がつたないパソコン操作で塗り潰しておきました(笑)
誰から質問されても、お答えは出来ません。会長ではない事だけは確かです。まあ、それがどなたかは気にしないで下さい。(そう言われると、かえって気になるって?(^^ゞ)


※ 還暦祝い
  
 
2001年12月に「アドマイヤ」の冠でお馴染みの近藤利一会長の還暦をお祝いするパーティーがありました。そこで私はラジオ短波の北野さんと共に司会をしてきたのです!
以前、《アドマイヤベガ》がダービーをとった時の優勝パーティにもご招待いただいたのですが、今回は仲間内だけと言う事で和気藹々と行われました。(それでも270人も居ましたけどね。前回は1000人位でしたから、それに比べると1/4で少人数と言う事です(^o^))
限られた人数で行われたパーティの出席者はウルトラ豪華でしたよ。騎手で言うと、この日香港から帰って来たばかりの武豊さんをはじめ、蛯名さん、後藤さん、福永さん等々。その方達にお会いした証拠に写真を写したかったのですが、司会者としてステージ上でインタビューをしていましたので、私のカメラで撮影をするチャンスは全く無し。。。(×_×;)。諦めて、豪華なお料理を写してみたりしました。(^^;)
  ←このデザートは超美味でした
また、終わった後、上を見上げて‘看板’(上に載せた青い看板の事です。)を写していると、調教師の橋田先生が「写してあげるよ。」と優しく声を掛けて下さったので、お言葉に甘え、更に一緒にも写して頂きました。もちろん、主役の近藤会長とも記念に一枚。
  
とてもゴージャスで、素晴らしいパーティでした。ちなみに、近藤会長は数えで還暦ではありますが、通称48歳ですので、お間違えの無い様お願い致します。(●⌒∇⌒●)

さ〜て、次回のうららストーリーはぁ〜(サザエさん風に)、2次会での豪華メンバーをご紹介します♪ジャンケン・・・・・・・グー!(^O^)g


※ 将棋の世界

毎年恒例の大きな大会「JT将棋大会」準決勝(羽生善治四冠 対 佐藤康光九段)が札幌で行われました。その前日、小学生を対象にした「JT子供将棋大会」が開催され、対局中の子供を待つ親のためにプロの棋士の方とのトークショーが催されたのです。
トークショーのゲストは“中村修八段”と“蛸島彰子女流五段”です。
将棋の棋士と聞くと、誠に勝手ながら気難しくて神経質なイメージがあったのですが、お二人ともとても穏やかでどんな質問にも気軽に答えて下さいました。
印象深かったもののひとつに中村八段の子供時代のお話がありました。
『自分は子供の頃から強い相手と対局してきた。そんな時、同世代の相手と試合をして、どう見ても相手が悪い手を指したので「待ったをした方が良いのではないか」とアドバイスをした。すると相手は「結構です」と断ってきた。』と、言うエピソードです。
親切のつもりだったのに、断られて初めて相手のプライドを傷つけた事に気が付いた。とおっしゃるではありませんか。
勝負の世界はやはり最後には自分でその責任を取るしかない。対局は自分が勝ったかもしれないが、棋士としては負けたと思い、ショックをうけたと言うお話です。
ひとつの事をやり遂げている人は、自分が挑んだ勝負にしっかりと責任が取れるからこそ、どんな事があっても諦めずに挑戦し続けていられるのかもしれませんね。
これは今の私の仕事も一緒です。フリーでやっている以上、仕事ひとつひとつが勝負。
でも、誰かに勝つ事を目指すのではなく、自分で責任を持つ事を大切にしないとあっという間にこの世界から消えてしまいます。
私も将棋を覚えて精神力と判断力を鍛えてみようようかな。やってみると意外と才能があると思うんです。
だって私、生まれながらに“きし”ですから。。。(*^^*ゞ

※ 決勝戦は11月18日浜松で羽生善治(四冠)と丸山忠久(名人)の対局です。

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